2009年3月20日、3か月ぶりに松山に着いた。今日は祖父・秋山眞之の141回目の誕生日に当たる。
生家の庭の桜が、ポツリポツリと咲き出した。眞之に思いを寄せて集まって下さる方々の心のぬくもりで、蕾がふくらみ色づいて来るようだ。
朝方の曇り空に陽がさし、この日も天気晴朗となった。
眞之の文学好きは、正岡子規を生んだ松山の風土によるところ大と、この頃思うようなった。おだやかなふる里松山の大地は、思いの豊かさ、万物へのあたたかみのある気遣いを人の心に育むように思える。
弟・眞之よりも長く松山の地で育った兄の好古は、いっそう子孫への期待が強く、晩年を郷里の中学校長として青少年と共に生きた。
ちょうど今年の3月から来年2月まで、市内の「坂の上の雲ミュージアム」で、秋山好古の企画展を催していた。
私は初めて社会人として得た職が、好古と同じく小学校の教師だった。そして今も時々、若者たちのキャンパスに帰りたいと思うことがある。それ故、好古には眞之とは又違った共通の体験を通しての親しみを感じている。
好古はきっと人への思いの深い、やさしい心意気をもっていたに違いない。
北海道の広野で馬を育てることをあきらめ、求められるままにふる里の地で青少年を育てる日々を選んだのは、やはり社会人としてのスタートに教壇に立ったその時の思いが、ずっと胸中に消えることなく残りつづけていたのではないか、と私には思えてくる。